まず最初に、はっきり言っておくと、私は「古典派」ギターの暖かく暗い音が大好きです。
私にとって、ジュリアン・ブリームの映画「ギターラ」は、それだけで、それを西欧諸国における最も美しい楽器の一つと位置づけるのに十分でした。それでもクラッシック音楽の分野において、この楽器の運命が長きにわたって凋落の傾向にあることは無視できません。ある人は、それが、楽器の自己陶酔が高まって、音楽プログラムの選択が平凡化したせいだと言います。他の人々は、クラシックギターの鈍く低音の重すぎる音色が、祖母の世代が愛用したきつい香水のように、もはや流行らないことをほのめかします。
私は、それが自然な限界の中に留まり、その音の特性、あるいは能力に矛盾する要求さえしなければ、すべての楽器には、それ自身の時代を超えた美しさがあると信じています。私には、ギター人気の盛衰が、これらの限界が尊重されているのかそれとも無視されているのかに、関係しているように見えます。ここで、この楽器の自然な状態と前提条件を見てみましょう。
ギターは19世紀の初頭に、欧州音楽界からのリュートの消失によって残された狭間の中で台頭しました。リュートの衰退原因は、ギターの登場ではなく、ギターがリュートに取って代わることもありませんでした。主な撥弦楽器としてのその役割は、先の時代のリュート楽器とは、非常に大まかにしか比べられません。少し前まではバロックオーケストラの中でアーチリュート、テオルボまたはガリコンがそうであったように、古典派アンサンブルの中にその位置を占めることは、最初からギターの役目ではありませんでした。ギターの甘い音色はもちろん耳に魅力的でした。しかし、様々な形状と、音楽制作における多様な役割があった、古来より確立されたリュートファミリーの失墜とから、音楽が被った損失を嘆くリスナーをギターが慰めることはできませんでした。
18世紀半ばまで継続した、リュート、アーチリュート、テオルボまたはガリコンなどの撥弦楽器の室音楽およびオーケストラ音楽への参入は、これらの楽器に認識を、そして、それらの演奏家に社会的地位を与えました。19世紀には、それらに置き換わり、フリーランスの巡業するギター名人が出現し、程度の差こそあれ重要な自らの作品と、大胆なアレンジメントで、主にブルジョア階級の聴衆を興奮させました。その熱狂の核心は、疑いもなく、この新しいギターの音色そのものにありました。それは音量の観点からはリュート楽器とほとんど差がありませんでしたが、より甘く、旋律的美しさと、豊かな色彩があったのです。しかし、その魅力の中に、音楽的実体を犠牲にしてしまう軽薄さという危険性が潜んでいました。例えばフェルナンド・ソルのようなギターの音の真の愛好者が、当時の音楽出版社が流行の波に乗って、凡庸なレパートリーの嗜好を歓迎する姿勢にあったことを嘆いていたのも無理はありませんでした。
ここでしばし、初期ロマン派ギターによる特徴的な新しい音の功績を無視して考えると、S. L.ヴァイス死去のわずか50年後における、4度で調弦された6弦の撥弦楽器の出現は、驚異的な時代錯誤にも感じられます。これは音楽理論的な根拠と言うよりも、すべての弦を「かき鳴らす」機会を特にロマンチックだと思った、しきりに歌いたがるアマチュアの好みと関係しています。ある意味で、この進展は、素人の愛好家によって大いに好まれた楽器であるマンドーラの出現を通じて、既に18世紀後半に準備されていました。これは3つの音域で構築されたリュート楽器であり、6または9コースのみで、その内、E調の6コースモデルは後のギターとまったく同じに調弦されました。
ギターの開発におけるさらなる変則性の理解には、リュート楽器の歴史に関する手短な補足が不可欠です。
既に1500年には、E調弦(テノールリュート:E – A – D – F# – B – e)で使用されるリュート族のメンバーがありました。この低い音域はすぐに作曲家たちに活用され、程なくして、2度または4度の間隔で、低音域をさらに広げる必要が出てきました(7または8コースリュート)。
リュートはテノールの他に、少なくとも4つの異なるサイズで構築され、これらはかなり異なる役割を果たしていました。
デスカントリュート(弦長48~52cm)は変ロ調弦でアンサンブル 用;
アルトリュート(弦長56~60cm)はGまたはA調弦で独奏またはアンサンブル用;
テノールリュート(弦長67~72cm)はE調弦で独奏またはアンサンブル用;
バス リュート(弦長 74~78 cm)はD調弦でアンサンブル用;
大型バスリュート(弦長 88~95cm)はG調弦でアンサンブル用でした。
弦長が56~60cmであるGまたはA調弦アルトリュートは、アンサンブル中で、現在バイオリンが弦楽器グループ中で果たすのとほぼ同じ役割を果たしていました。1620年頃まで、それは、独奏多声作品(フランチェスコ・ダ・ミラノ、G. A.テルツィ、ジョンダ・ウランドなど)を演奏するのに好まれた楽器でした。その音域とサイズが今のギターとおおむね同じであるE調弦テノールリュートは、最もふさわしくはビオラと比較されます。それはアンサンブル中で、そして歌曲の伴奏用として使用され、また難易度のより低い独奏曲でも使用されていました。
現在のギターと比較して、かなり短いルネサンス独奏楽器の弦長は、厳然たる生理学的事実に一致していました。手の大きさに対応する楽器の正しいサイズを計るための試験は、アルトリュートの演奏家の場合、第1ポジションでホ長調を押さえることでした(ギター調弦ではヘ長調コード)。これは当時の多くの作品の目立つ位置に現れるコードであり、6コース目で変イを2コース目では変ホを押さえる第1フレットのバレーで構成されます。3コース目では中央ハが第3フレットで押さえられ、最高音弦では二点ハが第5フレットで押さえられます。(G弦を嬰ヘに下げて調弦されたギターでは、これは低音弦から高音弦方向に、ヘ、イ、中央ハ、中央イの音になります。)この小さな実験は、分別のある人々に、プロのリュート奏者のキャリアを目指すことを思いとどまらせる要因になるのかもしれません。
経験的に、要求の厳しい独奏レパートリーを弾きこなし、頻発する左手のストレッチに対処するには、4度で調弦された弦長56~60cmの楽器を使うのが最も自然です。現在のギターのサイズである平均的弦長65cmは、生理学的にはやや長すぎます。58cmの方がより理にかなっています。他方、主にアンサンブルで使用されるE調弦の楽器では、それは短すぎる傾向があり、67cmが通常の下限です。この意味では、4度で調弦された弦長65cmの「クラッシック」ギターの演奏家がこなす芸当は、リュート族の自然な寸法の楽器の背景と比べると、チェロの様に調弦されたビオラを使って、独奏バイオリン曲を演奏するバイオリン奏者に近いものがあります。ここでリュートに話を戻しましょう。
アルトリュートは、小型のボディで空気容積が小さかったため、通奏低音の時代が幕開けし、独奏撥弦楽器のレパートリーでも強力な低音域が使用され始めると、程なくその重要性を失いました。このような小型楽器の低音弦の延長(「テオルボ」ネック)は、これらの要求をごく部分的にしか満たさなかったので、17世紀にはテノールとバスリュートが、それらのより大型のボディのお陰で、重要になってきたのです。
一方で万能独奏楽器であるためには、これらの楽器のより長い弦長は、4度よりも小さな間隔での調弦を要求しました。1630年前後に出現した3度と4度で構成されるニ短調調弦では、左手の極端なストレッチは必要なくなりました。現在のギタリストは、65cmの弦長で、本来は弦長56~60cmの16世紀のアルトリュートのために書かれた曲の楽節を切り抜けなくてはならない分けですが、この4度で調弦されたより都合の良い弦長でさえ、その無数の厄介なストレッチに対する批判を免れ得なかったことは、興味深いことです。その理由から、ニ短調調弦がそれに取って代わりました。
4度に調弦された楽器の演奏家の苦労を軽減する可能な一方法は、疑いもなく、まずは第5弦と第6弦間の4度を放棄して3度で置き換えるか、あるいは、1音違いの2本の弦で置き換えることです。これは、A弦より下の開放弦の全音階シリーズで、4度の間隔を置き換える、新しいニ短調調弦リュートでだけでなく、E-F-G-A-d-g-b-eに調弦された18世紀の8コースマンドーラでも採用されました。もしもダウランドのリュート音楽と、それに一般的な運指問題をよくご存じで、お手元にギターあるいは8弦または8コースリュートがあれば、リュートではイ(またはキー次第で変イ)、ギターでは嬰ヘまたはヘに調弦した第6弦を挿入し、単に1本の弦を3度に調弦することで提供される運指の容易さに注意しつつ、この音楽を演奏してみることをおすすめします。
低音開放弦としてのトまたはヘ(嬰ヘ)音がないことの不都合は、19世紀のギタリストにとっても火を見るよりも明らかでした。そのためフェルディナンド・カルッリ(1770~1841年)は、C-D-E-F-G-A-d-g-b-e’に調弦された「デカコード」と名付けた10弦ギターを開発しました。それは今、パリの音楽博物館で鑑賞することができます。スペイン出身のアントニオ・ヒメネス・マンホン(1866-1919年)は、まったく異なる様式で、彼の11弦トーレスギターの低音弦を音楽的に非常によく考えたシリーズ、C-F-D-G-B-E-A-d-g-b-e’に調弦し、自らの再構成した楽器によって「偉大なテオルボの後継ぎ」を発見したとさえ断言しました。
6弦ギターの優位性は、いかなる音楽的合理性の結果ではなく、アマチュア大衆市場に常に注視していた19世紀の音楽出版社が示した、商業的優先傾向の効果だったのです。より注意深く調べてみれば、カルッリとマンホン以外にも、ここ2世紀の間に、多弦ギターを使用した驚くべき数の演奏家がいたことが明らかになります。対位法と作曲基準の観点からは、E-Ad-g-b-e’の音列に調弦された楽器における低音域の拡大は、完全に合理的に思えます。最低限でも追加のD弦が、異議の余地のない必要条件です。もちろん追加的な開放弦として、D、C、および低音B弦があれば、さらに理想的です。
他方では、クラシックギターにおいて、このような音域の拡大に反対する理由は容易に把握でき、審美的および音楽的根拠の双方に根ざします。
アントニオ・デ・トーレスによって着想された6弦ギターは、視覚的なフォルムとしては完璧としか言いようがありません。フランシスコ・タレガが好んだ864年製のカエデ材の楽器のすらりとした輪郭は、アントニオ・ストラディバリの黄金時代のバイオリンにも匹敵する、時代を超えた優美さを醸し出しています。この文脈では、多大な努力と嫌気なしには、多弦ギターを見ることができないと述べたジュリアン・ブリームに、残念ながら反論できません。
音響の観点からは、「クラッシック」ギターは、その構造原理のために既に音響スペクトルの末端にあり、低音Dよりも低いあらゆる音は倍音が非常に乏しく、オクターブ弦と対にしてコースにするか、またはそれらの弦長を延長し倍音がより豊かなより細い弦を使用できるようにしない限り、デスカント音域と満足に混ざり合いそうにはありません。唯一の代替案は、ギターのデザインを完全に変更することです。
その肉体美と音響バランスの維持を望む限り、明らかに「クラッシック」ギターの限界を6弦または最大でも8弦に保ち、これによって提供される音楽的可能性に満足することが賢明です。
クラシックギターで培うことのできるスタイルの多様性の観点からは、それは確かに汎用楽器と見なすことができます。しかしそのアンサンブルにおける使用の可能性という観点からは、とてもそうであるとは言えません。
19世紀初頭におけるギター台頭の理由は、器楽アンサンブルの対等なメンバーとして、すたれたリュート族の様々な役割を果たすことに成功したためではありませんでした。小さな初期ロマン派ギターの音響的魅力は、速やかに台頭した様々なピアノフォルテの弦が歌う力と、両手を使った和音の可能性の間で見失われ、その当時の偉大な作曲家たちの注目を集め続けるには、十分ではありませんでした。
したがって19世紀前半のギターの盛況は、重要な室内楽曲でなく、歌の伴奏、そしてフェルナンド・ソルやマウロ・ジュリアーニなどの著名作曲家による非常に魅力的な独奏レパートリーのお陰だったと言えます。ソル自身はかなり例外的に、和声学者でした。最盛期のリュートとは対照的に、ギターの歴史が誇れる和声学者は非常に少数です。
アントニオ・デ・トレスまたはフランシスコ・タレガのどちらも、管弦楽アンサンブル中で撥弦楽器の安定した位置を確立しようとはしませんでした。トーレスの有名な、現在の「クラシックギター」の原型「ラ・レオナ」は、初期ロマン派モデルと比べると、増大した共鳴と、より朗々とした低音がありましたが、その暗い音色のために、アンサンブル演奏中で自己主張する能力は、より小型でより明るい音色だったその先祖よりもさらに低下していました。
トーレスが、同時代の音楽界からほぼ孤立した状態で、ビーダーマイヤー様式のギターを、後期ロマン派の陰りを帯びた音の理想に一致する楽器に作り直すのに成功した一方、同様に孤立していたタレガは、この忘れがたい音色の技術的手段を探求し、そのあらゆる側面を有利にに引き出しました。ヨーロッパの辺縁地域でこれらの2人の奇人は、新たに考案されたニ短調調弦のスタイルおよび表現の可能性に関する精密な実験に没頭していました。彼らが置かれたその状況は、一般市民の関心やアンサンブルへの応用はほとんど気に掛けなかった、17世紀フランスのリュート奏者らと奇しくも似ていました。その結果、フランスにおいてリュートが18世紀始めまでに絶滅した一方で、オーケストラとのつながりを決して失わなかったテオルボは、その名声と地位を維持しました。
クラッシックギターというよりも、より的確には「後期ロマン派」ギターが20世紀へ跳躍することができたのは、主に独奏の分野において、驚嘆する聴衆の面前でこの楽器の素晴らしい音の可能性を披露し、狂信的とも言える追従者を集めることができた、多数の非凡な名演奏家のお陰なのです。
アンサンブル中での適合性のために、ギターの音を適切に「増幅する」基本的問題は、既に19世紀に、楽器の形状を改変する広範な実験と試行をもたらしました。それらのいくつかは、現在の観察者の目には滑稽なものとして映ります。これらの試行のいずれも、ギターの標準的形状と構造に並ぶことはできなかったようです。
共鳴板の構造を改変することで音を強化するという、20世紀に達成された結果は、電気的増幅なしに、弦楽器の中にギターを組み入れるには、失礼ながら十分ではありません。しばしば、楽器の自然な魅力を犠牲にすることによってのみ達成できる、この小さな共鳴の増大よりも、より明るい音に向けたスペクトルの移行の方が、おそらくは重要でしょう。ギターの特徴的な音が、このような条件下でどの程度まで救出できるか、考えてみる必要があります。
19および20世紀のギターには、豊富なオリジナル作品があります。特に印象的なのは、偉大な20世紀の名演奏家に触発されて、この楽器のために作曲された、一連の重要作品です。私にとって輝ける最高峰は、ジュリアン・ブリームの「20世紀のギター音楽」でした。リュートは今のところ、不幸にもこの種の録音を依然として生み出すことができません。
これらの音楽資産を考えると、現在のギター演奏家の多くが選ぶプログラムには、疑問を抱かずにはいられません。20世紀の本当に重要なオリジナル作品は稀であり、濃厚で円熟したフェルナンド・ソルの作品についても同じです。
編曲の楽しさと、強力な民族音楽または即興的タッチに対する必要性はよく分かるにしても、クラッシック音楽、そしてより内容のある現代音楽レパートリーが無視されている状況は、深く懸念されます。さらに人気の高いバッハのリュート作品の編曲は、ギターフェスティバルの外では、批判的なリスナーからは、ほとんど評価されません。
バッハのリュート作品のオリジナルバージョンに精通しており、それらがどのような音で、当時のリュートによって演奏されたかを知っている人々にとっては、4度に調弦された6弦楽器による演奏は、あたかも片手で3本の指、もう片方は2本の指だけで「平均律クラビーア曲集」を演奏しているように感じられるのです。6弦ギターのためのシルヴィウス・レオポルド・ヴァイスの作品の編曲は、否応なしに片手のピアニストのイメージを引き起こします。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」のようなキーボードまたは管弦楽作品のギターのための編曲は、フランツ・リストによるワーグナーの序曲のピアノ編曲と同じように正統派なのかもしれませんが、オリジナルギターレパートリーの軽視を正当化できるものとは思えません。
その強力にロマン派的な特徴は、ギターの演奏家をロマン派期以前の音楽に極めて適さない種類の演奏スタイルに否応なく誘惑し、少なくとも歴史的な演奏慣習の知識がある人々を遠ざけてしまいます。「音楽的才能」と妙技の披露にもかかわらず、ルネサンスおよびバロック音楽の演奏においては、この経験とスタイル感覚の欠如が特に明白になります。
このように批判しながらも、時としてリュート関連のブログやフォーラムで見かける、ギターやギタリスト全般に対する冷笑的で礼を逸したコメントを述べるつもりは、私には毛頭ありません。これらの独断的な人々は、撥弦楽器の演奏技法と構造の双方の開発に対する、ギタリストによる多大な貢献は言うまでもなく、19世紀を通じてリュートの記憶を保ち続けたのがギタリストであったことを、時としてに忘れているように見受けられます。20世紀におけるリュートの文芸復興は、ジュリアン・ブリームのような音楽家の献身的な努力なしには考えられなかったことです。この点について、著名なリュート奏者であるポール・オデットは、「ブリームがいなかったらリュート界はあり得なかった」と、簡素にして的を得たコメントをしています。
現在、クラッシック音楽分野において「クラッシック」ギターが受け入れられなくなってきている状況には、「歴史的」リュート界の紛れもない老化が伴っています。2種の楽器が、それぞれ別の道を歩んだことは、全体的な撥弦楽器としての認識上、好ましくなかったかもしれません。このような状況下では、再び互いに歩み寄って妥協点を見出し、17そして18世紀の演奏家がそうであったように、私たちもギターとリュート双方の演奏家になることが賢い選択ではないでしょうか。
蘇生されたリュートの形態とは対照的に、新しいリュート(リウトフォルテ)は、ギタリストを閉め出したりはしません。それどころか、ギタリストが、リュートとアンサンブル音楽に彼らの才能と経験を持ち込んでくれることを、大手を広げて歓迎します。クラシックギタリストは、リウトフォルテの現代的なモデルのお陰で、演奏技法を大幅に変更する必要もなく、より古い時代の音楽に再びアクセスできるようになり、彼らの楽器の長所である19そして20世紀からの作品にも集中し続けることができます。
クラシックギターは、いかなる時点でもその特定の音響的性質のために、17そして18世紀のアーチリュート、テオルボまたはガリコンに匹敵する、音楽的統合を達成したことがありません。その甘く、いくらか抑制された音色は、それを独奏向けにし、同時に管弦楽の総奏の中では、それを聴き取れなくしてしまいます。この状況はギターが、コンサートや、教会、そしてオペラハウスにおいて、対等のパートナーになることを最初から難しいものにしました。20世紀の作曲家による、室内楽におけるギター使用の増加とは関係なく、その他の大多数の楽器の中で聴き取れるような自己主張ができない、という根本的問題は未解決のままです。しかし、この認識にギタリストが落胆する必要は、ありません。アンサンブルにおけるリウトフォルテの様々な新しい能力は、実のところ、彼らの美しい楽器を不可能で不適な仕事からから解放してくれるのですから。たとえクラッシックおよび後期ロマン派ギターが、アンサンブル楽器としての要求を満たせなくても、それは、その自然な限界から逸脱することなく、音楽と言う広大なフィールドの中に続く、魅力的な薔薇の小径のままであり続けるのです。
おそらく私たちは、クラシックおよび後期ロマン派ギターが、浮き沈みを伴って実際に繁栄していた時代は、1800年と1980年の間だったと考えるべきでしょう。新しい開拓として、より大きな演奏会場の征服に関しては、20世紀後半に、電子および電気的に増幅されるギターの多岐にわたるモデルの登場によって、新時代が始まったことは明らかです。
「クラッシック」ギターが、クラッシック音楽分野でその位置を維持できるかどうか、またはそれが高い技術レベルで竜頭蛇尾に終わらず、楽器の歴史の魅惑的エピソードの一編になれるのかどうか。それは、ギターの限界の正しい理解と長所の活用にかかっています。