歴史的リュートの各コースから単に1本の弦を取り除いてみれば、例外なしに期待外れの音しか残らないことに気づくでしょう。テオルボ、キタローネまたはアーチリュートのような古来のリュートの場合でさえ、単弦には相当に高い張力が必要です。確かに爪で演奏した場合、これらの楽器の音は明るく、良く通り、通奏低音の演奏にはとても適しています。しかし間近で聴くと、その音には、シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスがヨハン・マッテゾンへの手紙の中で述べたような「洗練されていない荒々しい」印象があります。1 これらの楽器には共鳴板の構造的制限のために、独奏楽器に不可欠の質である、暖かみと音の保持の双方が欠けています。2
1「Rüde」で「aspern」。 Johann Mattheson, Der neue Göttingsche ... Ephorus, wegen der Kirchen-Musik ... mit angehängtem Lauten-Material..., Hamburg 1727年の118頁をご参照下さい。
2 ヴァイスはマッテゾンに宛てた手紙の中で、独奏曲であるギャラントリー様式の作品には、テオルボやアーチリュートは「全く役に立たない」とも書いています。